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ちから。その1。

by カウラーキー(kouraku)with新生クラヴァー&新生terataku

な~もう。クリエイターズもだしさっきのたん兄の地球のチャクラの話にも通じるけど、人間もう自分たちの力の使い方のさ、正しく計るなにか~、を、ちょっち世界規模で・・・なにか・・・教わらねばなるまいのではなかろうか。


自分の持ってる力がどんぐらいのものなのか~ってのを、こっから先の時代はもう、ちょっとそう「自覚」をもたねーと、それか、とりあえず「弱い」ってことを、そちらもやはり「自覚」しねーと、ちょっ・・・もう、あやうしもう。


あと「道」をなんとか、個人個人がやはり「自覚」しなければ。な~。


時間かかるし、大切だよな。


絶妙・精妙・微妙。力というものは。


て流れってのは、運命とかご加護とかお導きとかで、自然と毎日ずっと流れてるもんだと想うよ。


ハイアーセルフさんもインナーセルフさんも愛の力と流れだしな。


そこに自我やカルマなどが加わり難しいこと。


私だってまだまっだはははww だけど、ちょっもうどうしたらいいのだ・・・ってことだしな~。


だよなぁ。しかしそこに“力”という要因が加わると途端に人はややこしいことになるんだよ・・・。神さんもう。


だよなぁ。ちから・・・くっ。加減。くっ。いい感じ。くっ。


やさしさとおもいやりとゆるしでとりあえずおさめる、ってこともまたいちばんたいせつっぽいしな~。


それをなんとかするのが知恵・智恵・智慧であり、教であるか?


そこに帰るやはりなにか自分のブレない、意識でも意図でも確信でもなく、自認・・・? ってのもいる、かな。やっぱりわたしにはじぶんのちからをうまくあつかえないという認めることと、それでほかに頼るというスタート。


――そうだ。それでよい。――そのちからは、そなたの奥底に眠るもの。それを認めぬ限り、そなたは足踏みをするだけだ。 ――大丈夫、ちゃんと手加減してくれた・・・。 参りました。 ――ですが、これでいいのでしょうか。これで一層、迷ってしまうような気がします。


――“ちから”は所詮、“ちから”。使いこなせなければ意味はなく、ただ空しいだけのもの。 だが、在るものを否定するのもまた、“欺瞞”でしかない。まずは立ち上がり、その畏れと共に歩みだすがいい。――迷ってこそ“人”。立ち止まるより、遥かにいいだろう。


カウラーキー(kouraku)with新生クラヴァー&新生terataku
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