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『マリア あなたを包む愛の奇蹟』-その4。

by 寺口 巧(てらぐち たくみ)-カウラーキー(kouraku)with新生クラヴァー&新生terataku

※このシリーズでは、『マリア あなたを包む愛の奇蹟』-ドリーン・バーチュー 宇佐 和通[訳]の内容を、ゆっくりと分かち合って行こうというものです。公式さまから許可を得たわけではありませんが、いつものように私の想いつき買いたいけど買えない方、また知るきっかけのなかった方に触れあって頂ければと想い、始めました。もしよろしくなければお伝えください。


聖母マリアと神を尊ぶ

カトリック思想では、聖母マリアを尊ぶ祝日が定められています。祝日とは、聖人や聖なる出来事を記念する神聖な日のことです。聖母マリアの主な祝日は、昇天の日とされている8月1日、そして聖アンナが聖母マリアを身ごもった“無原罪の宿り”の日である12月8日です。天使に祈るのは神に対する冒涜でしょうか、と尋ねられることがよくあります。こうした質問には、いつも「天使は崇拝を求めません」と答えることにしています。天使たちは、神の仲介人として働くためだけに人間の祈りを知りたいのです。これと同じように、聖母マリア(および他の神格)への崇拝、および偶像化に対する批判は後を絶ちません。

私は、天使と同じく、聖母マリアもすべての栄光が創造主に帰することを望んでいると信じています。私たちは、聖母マリアを神より上の存在と考えたり、神の代わりに聖母マリアを崇敬したりするわけではありません。

それでは、神に対して直接語りかけられるのにもかかわらず、聖母マリアや天使に対して言葉をかけるのはなぜでしょうか。神という存在は、100パーセントが愛です。創造主の意識には、愛しか存在しません。人間の心や気持ちが愛を受け容れやすい状態にあれば、聖なる存在を感じたり、音という形で耳にしたりすることは難しくありません。でも、ストレスを感じていたり、恐れていたりするとき(神を一番必要としているとき)には振動が低くなり、神と離されてしまったような気持ちになってしまいます。聖母マリアや天使が介入してくれるのは、まさにこうしたときです。いかに気分がすぐれなくても、振動を調整し、聖なる愛を感じられる状態に戻してくれるのです。

天使と同じく、聖母マリアは、宗教から遠ざかる人たちが抱きがちな罪の意識や恐れの感情と無関係の存在です。聖母マリアが感じたに違いない息子を亡くした悲しみを通じ、多くの人々がつながることができます。でも私たちは、聖母マリアが深い悲しみを思いやりに変え、苦しむ人々に手を差し伸べてくれることを知っています。聖母マリアは、生きる上で避けて通れないさまざまな痛みを役立つ教訓に変え、他者を助けることを示しながら、自らが手本となり、私たちを導いてくれるのです。


寺口 巧(てらぐち たくみ)-カウラーキー(kouraku)with新生クラヴァー&新生terataku
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